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共感覚―もっとも奇妙な知覚世界

共感覚―もっとも奇妙な知覚世界共感覚―もっとも奇妙な知覚世界
ジョン ハリソン John Harrison 松尾 香弥子


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音が色として見えたり、匂いを形として認識するするなど、五感がミックスされた人が少ない割合(調査によって6.7%だったり0.05%であったり)で存在する。
それが「共感覚」。
有名人ではスクリャービンカンディンスキーなどが持っていたとされる。

「あら、感性が豊かなのね」
では片付けられない、その実体とメカニズムに科学的に迫っていっている。

本書は単に共感覚を説明するにとどまらず、最近120年の精神医学・心理学・精神分析学(これらは本書の中で明確に区別されている)のパラダイム・メソッドの歴史の流れを丁寧に説明し、それに沿って共感覚がどう研究されてきたのかを描いている。
記述統計手法が確立し、行動主義からスキナーに・・・という。現代ではやはり脳解剖学が幅をきかせているようだ。

「かたい科学」から軽んじられる「やわらかい科学」の苦悩も描く。
共感覚の検証(観察対象が共感覚者であるのか否か)は感覚の再現性で測られる。しばらく間を置いておなじものを提示して、アウトプットが同じだったら共感覚者だろう、というと。デタラメに言っている人は覚えてられないだろうしね、という。「かたい科学者」から「それってホント?」とつっこまれてしまうと反論しづらい。
著者自身が物理主義者を自称しているだけあって、この問題には果敢に取り組んでいる。

本書の基本となる仮説は

脳の機能局在についての理解が進むうちに聴覚情報を受け取って処理する部位と、視覚情報を受け取って処理する部位とは異なっていることが明らかになった。大部分の人にとっては、この2つの脳部位の活動は充分に分離されたこと頃で起きるので聴覚が視覚に入り込むことはない。でも多分、共感覚者にはこれが当てはまらないか、あるいはあまり当てはまらない、と言うことなのではないだろうか。 〜中略〜 そういうわけで、私たちの理論が確からしいと言うことを示すためには、よく「収束的」な証拠と呼ばれるものを引き合いに出してくる必要がある。ありがたいことに、好都合な収束的証拠があるので見ていこう(P.18)

ということで、例えば聴覚情報を伝える部位の、信号の媒体が多の部位にもれてしまうことで他の感覚を刺激してしまう、と言うことである。

やや神秘的だと思っていた"共感覚"が、じつは脳内の"お漏らし"だった(のではないか)というオチは本書の冒頭「まずは結論からはじめる」の章でもったいぶらずに明らかにされる。

ナルホド。


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