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鎌倉で新年を迎える~りんご飴ダイスキ~

あけましておめでとうございます。
新年はネット環境からかけ離れた鎌倉で迎えることになった。
yayaはカメラのチェリンと共に31日に帰省。
31日夜から、yaya弟の友人が家に集まり、どんちゃん騒ぎ。
ワタシはもちろん参加。
シャンパン2本、ワイン1本、ビール、日本酒を飲みあさり、
ほろ酔い状態でゆく年くる年を見て、さっさと眠った。

20070101.jpg
camera:D80 iso200

元旦は、鎌倉宮(大塔宮)へお参り。
yayaの家は鶴岡八幡宮が神様ではない。
八幡宮を越えた二階堂というところにあるから、空いている。ラッキィ!
ここでは、石に陶器のお皿を投げつけて、悪い気を吐き出すという場所がある。
yayaも力いっぱいお皿を投げつけてやったわ。
もちろん、パシィン!!!という音と共に、お皿は粉々。
去年、高尾山で買ったお札があって、山まで返すのが面倒なyaya家。
yaya「父さん、このお札は高尾山のだけど」
父イタオ「鎌倉宮で返せばいいだろ」
yaya「普通買ったとこじゃないと、ダメなんじゃない?」
父イタオ「鎌倉宮は位が高いから大丈夫だ!」
yaya「聞いたことないけど・・・」
父イタオ「心が広いから、気にするな」
yaya心の声「おぃ、イタオ。面倒なだけだろぅ」
まったく、都合の良い家族だ。
とはいえ、鎌倉宮へ返した・・・

次に、絵柄天神(菅原道真が建てたらしい)で珍獣Mに、学業成就のお守りを買って、
(yayaはもちろん「大塔宮」にて開運を買ったんだけどさ)
鶴岡八幡宮方面へ戻る。
ちなみに、yayaは中学・高校・大学受験と3回絵柄天神へ行ってお参りしたけど、
しかも「おみくじ」は大吉だったけど、中学以外は全滅だった・・・・
んー。
やはり、努力次第ですね。がんばれ珍M。

八幡宮は混みすぎなので、写真だけ撮ってさっさと退散。
そこで撮った写真を公開~
手前のカップルが嬉しそうです。

新年早々、2個もリンゴ飴(大)を買ってもらって、気分が良い。
リンゴ飴はさ、飴とリンゴを同時に食べるのがうまい。

今年の抱負
『yaya、ちゃんと大人になる。覚悟を決める。』

オジィ・オバァがノロでして・・・

家族旅行@熱海。
父がたのオジィ・オバァ、母がたのオバァを連れて、
ものすごーく久々の旅行☆


となるハズだったが、
父かたのオジィ・オバァがノロウィルスに蝕まれた。
免疫が弱いお年寄りには、これはつらいだろうに・・・
父の妹がいるので、yayaたちはキャンセルするのもなんなので、
予定通りでかけることにした。
あいにくの雨。
熱海は、錆びれてた・・・
廃墟の旅館とかあって、なんか軍艦島みたいだし。
温泉とか、大きいけど、スタッフ足りない様子だし。
なにより、スタッフに若者が一人としていなかった。
なんだか、すごい寂しい気分になったなぁ~


チェックインまで時間があって、網代という場所の漁港で、暇つぶし。
一匹のネコが、何かを捕らえた。
よーく見てみると、それはモグラ!!!
しかもちっちゃい、赤ちゃんではないか。
面白いから、しばらく見届けていたんだけど、
ネコはモグラを投げて遊ぶばかりで、一向に食べない。
モグラはフゴフゴともがいてばっかり。

すると、もっと強そうなネコがやってきて、
モグラで遊んでいたネコはそそくさと逃げてしまった。
チャンス到来!
yayaはモグラの撮影に成功☆
ちっちゃかったぁー
モゴモゴしてて、かわいかったー
目、見えてるのかしら?明るい所はダメっていうし。
ちゃんと土の中にもぐったかしら?
なんだか心配してしまった。

mogura.jpg
camera:D80 iso400

レリーズを持っているyayaは一人で撮影大会@網代
まわりには、釣りをしているおいちゃんがたくさんいたけど、
気にしない、気にしない♪
自分でカメラの位置をセットして、カメラの前に立って、
自分の代わりのモノを置いてピントを合わせて、
またカメラの前に立って、レリーズをプッシュ!


おまけ
r-mario.jpg
camera:D80 iso640

調子に乗りすぎて、こんな顔までしてしまった・・・・
うひゃぁ。
撮るの、たのしぃ!

メザシとかタイとか

新年明けてからというもの。yayaは健康生活。
熱海に来て、温泉に入って、美味しいもの食べて、ゴロゴロゴロ・・・
気づいたら、朝7時。
yaya、またお風呂に入ってきた。

熱海の町を撮って歩こう!
街散策は楽しい。ただ広い目線で見るんじゃなくって、
獲物を探す感覚で、街を見ると、逃したくないシーンが転がっている。
今回は、メザシが気に入ったyaya。
干物屋さんの前で、色んな角度から、ひたすらメザシを眺めて、
撮ってみた。

ごく当たり前のことなんだけど、
メザシってさ、目に串が刺さっているのね。
じっくり見すぎて、なんだか怖くなってしまった。
メザシ作りの現場では、魚の目がゴロゴロと落ちているのかな・・・
目、ばっかりが。

たくあんの専門店を見つけた。
右端から左端まで、軒並み食べつくしてやったわ。
もぅ、喉がカラカラで、お腹も膨れちゃって、
昼食は食べられなかった。

mezashi01.jpg
camera:D80 iso640


yaya家の宴会はおそろしい。
ちゃんと面白いことをやらないと、ダメ出しが止まらない。
特に、父母を満足させなけらばならない。
色々な状態で撮ったけど、これ以上ヒドイ写真はアップできない。
いちおぅ
嫁入り前の娘ですし・・・


おまけ
taimario.jpg
camera:D80 iso800

舟のお造りから、鯛を拝借。
yaya、シラフです。

葬式用の写真撮影

yaya家では、ワタシが写真を始めてからというもの、
毎年新年には、お葬式用の写真撮影をしている。
仕事で人前に立つ仕事でもしていれば話は別だけど、
一人でちゃんと写真を撮ってもらうことって、少ないでしょ?
自分たちはいつ死んじゃうか分からないし。
そんな時のためにも、良い顔の写真を残している。

はじめの頃、父母は嫌がっていたけど、
毎年恒例行事になると、それなりに楽しいらしい。

場所は熱海で、日本庭園やら英国式ガーデンやらがたくさんある場所。
ここなら自然豊かで、和風も洋風もいけるしね♪
さっそくオバァを撮影。
オバァはお気に入りのフワフワした綿毛のような帽子をかぶって撮影。
日本庭園のデッカイ「はい松」の前で撮ってあげた。
ただ、すまし顔が良いらしく、「笑って、笑顔で~」といったら怒ってた・・・

母は英国式のバラ園。
「お葬式の写真なのに、コートの襟にある毛皮で太って見えるわ!!」
とそんなことばかり言ってた。
その場で言うと笑顔が濁るから言わなかったけど、
着実に太っているんだと思う。

弟はバラのトゲを鼻にくっつけて待っていた。
何かしないと・・・と思ったんだろうけど。トゲは小さすぎて見えない。

そして、問題の父イタオだ。
イタオ「忍者のように撮ってくれ!」
そんな強気で言われても、さっぱり意味が分かりません。何がしたいのか・・・
日本庭園の低い壁に乗って、屋根の上にいるようにして欲しいらしい。
完全にアホだ。
しかも、手前に瓦が見えるように撮ってほしいとのこと。
これをお葬式写真にすると、ハイビジョンになってしまう。

そんなこんなで、撮影は全員終了。
yayaは自分で撮った。

bara.jpg
camera:D80 iso640

お葬式用に白黒にしてみた。
完全にサイズがおかしいだろ。

おまけ
itao.jpg
本当にコレでいいのか?父イタオ・・・・・

将来・・・yaya修行をしてきます。

新年早々、悩みごとは絶えず・・・
yayaはそれなりに仕事がたくさんあって、充実している。
ところで、
仕事ってテトリスみたいだね。
どんどんこなして崩していくのさ。
それが快感だったりしてさ。

でもね、今後どうしていこうか、悩んでいる。
というか、このままだと、先々が見えない状態が続いて、
いい加減、将来何を職業として徹底するのか考えなくちゃいけないよ。
珍Mはそれが確立している人だから、すごいなぁと尊敬する。・・・時もある。

「yayaまだ若いし、経験経験♪」
と思っていたら、全然若くなくなっていた。

親友たちは次々と結婚。もしくは会社で仕事。
yayaはこの先どうやって食っていこうか。
っていうか、マルチに手を出してきたせいで、
突き抜けてない感たっぷり。

昨日も珍Mに、「yayaは何がしたいわけ?」と聞かれて、
答えらんなかった。
っていうか、今ある仕事が楽しいから逃げてる?
はい、逃げています。
そうだよね。そんな気するよ・・・

鎌倉のお嬢で育って、大学へポコリと入って、
好きな方向の仕事にスンナリ入れて、
見かけによらず柔軟性高いから、楽しくって、
仕事もいろいろ依頼してくれる人たちがいて・・・・

で、見えてきたものは特にまだナシだよ。
それって、寂しいじゃない?
いい加減決めようよ。

みんな、どうやって職業に就くんだろう・・・
今更ながら、そんなことを考えてしまってる。
どこらへんで、「これにしよう!」って決心できるんだろか。

yayaは何をしてても楽しいし、
逆に言えば、空しい気分にもなるんだな。

やってみないと!
と思ってきたんだけど、それに追われてしまってていいのかな。

でも、暇っ子になるの嫌いだし・・・


あぁ・・・
冬の空、キレイ。

soratakaku.jpg
camera:D80 iso400

ひとまず決心したことは、修行だ。
yayaは大人になることにしたんだし、(って見た目はもぅ大人か・・・)
こうする!という決断をして揺らがないようになるように、
今していること。していないこと。
よく考えなおそう。

おまけ
hime.jpg

母のバースデー☆
でも、写真は弟(左)と母かたオバァ(右)
なにやってんだよ・・・

機械と妊婦が好きになった食べ物

なんだかんだ4日からは都内で仕事をしているんだ。
以前、『ひたすらTCを入れる』という文を書いたけど、
年が明けてもまだTCを入力している。
だって・・・48本も残ってたんだもん。
でもね、好きなの。こういう作業。
何がって?
機械です。
ボタンがたくさんあって、いかにも技術者用って感じの機械が好きなの。
編集室とかダイスキで、一人でポチポチボタンを押したりしていると、
ものすごく気持ちがよい。
思いっきり早送りとかして、コマがズバピタだったりすると、
これまた、快感♪

本日は原宿で髪を切って、パーマをあてた。
「パーマをあてる」というのは、最近は言わないらしいけど、
yaya的にはパーマは「かける」のではなく「あてる」ものなので、
どうにも「あててきた」と言ってしまう。
ちなみに沖縄では「あてる」って言う友人が多いよ。
これって、方言なのかしらね・・・

カットしてくれた人は、yayaが初めてモデルの仕事をした時のヘアメイクYさん。
付き合いはもう7年か。
半年も髪を切ってなかった上に、事務所にいた頃は、
ヘアメイクさんが決まっていたから、お願いできなかったの。
久しぶりに会ったら、Yさんは結婚して子供がいた・・・
びっくりだったな。
でも、相変わらずセンス抜群で、美人で、素敵だったわ。さすが!

妊婦の頃の話を結構聞いたけど、
「とにかくね、チョコレートとか甘いものが食べたいのよ!」
「3~6ヶ月位は気持ち悪くて仕方ないけど、ドーナツだけはいけた!」
妊婦さんって、いきなり食べ物の好き嫌いが変わってしまうんだってね。
大好物だった肉ジャガが、香りも嫌いになったって言ってたし。
人によって、そのものは大分違うみたいなんだけど、
その発見がまた、楽しいんだって~
ほぉー
そんなもんなのかね。

だいたい、自分のお腹がどんどん膨らんでいくってのが、
想像つかない。
しかも、中で動くっていうから、それまた恐ろしい。

子供ができたYさんは、前よりずっと大人っぽくて、
行動ひとつひとつがとても色気があって、魅力的だったな。
恐るべし、妊婦。
この期間に、一体何が起こっているんだろうか・・・

髪は、10cmくらい切って、クルンとパーマをあてた。
雰囲気が違うyayaを珍Mは「ん~ん~ん~」と言いながら眺めてた。
どう?って聞いたら、
「慣れない・・・」だってさ。
ちょと変えるだけで、雰囲気はだいぶ変わるものだね。

meka.jpg
camera:D80 iso800

錆びれたマリンタワー
高い所は相当嫌いだけど、思い切って登ってみた。
すごい怖くて、足がガクガクしてたけど、
カメラ構えたら、平気だった。
珍しく、モノクロにしてみた。

助けはもう、来ないことを知っているの

大学の廊下
この寒い日に、廊下で論文を書いている女性がいる。
足元には寝袋を履いて、小さな机に資料とPCを置いて。
冷たい手をこすり合わせながら、ひたむきに書いている。

木枯らしの中のコーヒー屋
風がゴウゴウ音を立てて吹くコーヒー屋のテラスで、論文を読む男性がいる。
右手にタバコ、左手に熱いコーヒーを持って。
寒さに邪魔されないように、ひたすら論文を目で追い続ける。

休日のオフィス
誰もいない会社のオフィス、ひたすら台本を書く男性がいる。
無駄に明るい蛍光灯の下、コンビニで買ったオニギリを食べながら。
書いて、消して、書いて、消してを繰り返している。

この人たちは、もう助けが無いことを知っているのだろう。
ぬるい逃げ場を、たくさん作ることに専念するのではなくて、
真っ向に立ち向かって、自分の今を未来のためにつなげている。
昨日、今日、明日、あさって・・・はみんな5年先、10年先の何かに向かっていて、
1分1秒という点と点を結んで、一本の道をしっかりと作って、
ちゃんと道ができたことを確認しながら、また次に向かっている。
未来にあるもの。
そんなものは、もしも今日死んでしまえば、何もなくなってしまうのに、
それでも、その先を見つめて、そのために何かを我慢をすることができる。
その先は、1年や2年の先ではなくて、もっとずっと先のこと。
今日や明日が楽しいことよりも、もっと大きな「何か」を得ると信じている。

今日をとにかく楽しく、後悔なく生きることを考える。
今日はいつかにつながると想像して道を作って生きる。
どちらが正しいのか、

yayaにはわからない。

けれど、この3人を見て、魅力的で吸い寄せられたのは事実。
この人たちはきっと苦ではなくて、どこかしら快なんだろうとも思う。
そして、「助けは来ない」というのも事実。

今のyayaに必要なものは「ひとり」、かもしれない。
yayaにできる方法は、「ひとり」になること。
助けはもう来ないことをちゃんと理解するために、
「ひとり」になって考える。
この今を、この先を、どうやって過ごしていきたいのか。

shiroumi.jpg
camera:D80 iso640

こんなふうがいい。
朝起きたら、こんな海にひとりぼっちだった。
寒くて、孤独で、何もなくて、誰もいなくて、
とにかくなんとかしないと、死んでしまいそう。
胃の中が空っぽで、そこに風が吹き込んで、
ヒュゥヒュゥ音を立てて、通り過ぎていく。
どうしていいのか、わからないけれど、
どうしていいのか、わかってくる。

別れ・・・

寂しくなるのは知っていたけど。
別れは突如としてやってくるもの。
仕方ない・・・

当然、分かっていたことだけれど。
長く一緒にいればいるほど、辛くなっていくし、
もう、いい加減なんとかしないと。
そんな事を、毎日思ってた。
このままじゃ、
色はどんどん汚くなってしまうし、
ツヤはみるみる損なわれていくし。

なにより新鮮さがもうない。

ここは私がちゃんと決めなくちゃいけないよね。

相手には、それができないから。

だから、寂しい気分にもなったけど、


思い切って、


別れることにした。


さようなら

ミカン星人。


mikan.jpg
camera:Fuji finepix 50i

予想以上に潤いが保たれていた。

甘い。

みかんって、おいしいな。

山茶花と椿と娼婦

朝寒い・・・
冬真っ只中です。といった感じ。
寒い場所は相当ニガテなyayaだけど、
頭がキリッと冴える寒さは、朝気持ちいいのかも。

最近、カメラを持てない時でも、写真を撮る目線で歩くようにしてるの。
そうすると、いつもの道、いつもの場所でも、
全然見えていなかったものが、「おお発見!」といった感じで、
よ~く見えてくる。

yayaは本日、『サザンカ』を撮ってみた~。
ところで・・・
サザンカとツバキって分かりにくいよね。見分けにくい。
調べたら、サザンカは冬・ツバキは初春に花をつけるらしい。
ツバキの方が、花びらも丸っこくて数が少ない。コロっとしてるのね。
散り方も全然違うらしい。
ツバキは丸ごとボトッと落ちるのに対して、サザンカはパラパラ落ちる。
他にもサザンカは葉柄から主脈まで毛が生えてるとか色々あるみたい。
春になったら、ツバキを撮ってみよっと。

sazanka.jpg

ツバキといえば、オペラの「椿姫」"La Dame aux came'lias"を見たいなぁ~
椿の花をつけた貴婦人って意味なんだってさ。
パリの美しい、超高級娼婦だったヴィオレッタ。
女性としては魅力があると思うヒトの一人。

これには、原題があるらしく、
"La traviata"っていうんだとさ。
ほうほう。

で、
意味は「道を誤った女、ふみはずした女」。

・・・・。

そうかぁ・・・。

デメキンの名はバル

最近よく聞く、
イベリコ豚。
yayaはまたもや勘違いを長らくしていた。
イベリ子豚だと思っていたんだよね。
しかも、イベリと聞くだけで、随分ぶさいくな豚をイメージしてた。

なんか痛いです。実に。

「アルプス一万尺、こやりの上で♪」って歌も、
「アルプス一万ジャック、子ヤギの上で♪」だと思っていたり、
(10歳位のジャックが子ヤギの上で踊るイメージをしていた)
最近、勘違いが甚だしい。

というか、最近、真相が明らかになることが多い・・・・・・

demekin01.jpg

「yayaはカメラ好きだったね!」
といって、今日はカメラをいただいたの。
11月くらいから、欲しかったおもちゃカメラ"DEMEKIN"。
名前の通りだけど、超魚眼レンズのカメラなんだ☆

写真でも分かると思うけど、110フィルムを入れるといった、
めちゃんこ小型のカメラ。
名前をどうしようかな・・・・と思っているんだけど、
直感で、この子の名前はbar[バル]。
男の子です。スペイン系の。

アップするときは、スキャンしなくちゃだめだから、
いつ上がるか分からないけど、
とりあえず、110のフィルムをGETして、撮ってみようかな。

おいしそうなレストラン

本日はわりと普通な内容のblog。

最近、気になるお店があるんだ。
まず、Websaiteがかわいい。
スペイン料理っていったら、ミヤカワな気もしたけど、
遅くまで営業してて、家の近くとなると、
是非ともここへ行ってみたくて!

予約しちゃった♪
(まだ、誰の意向も聞いていないけど勝手に・・・・)

☆”La Plancha”☆

最近、気が付いたんだけど、
私、blogの日にちを間違えていたんだよね・・・・
今日12日なのに、一日ズレてるじゃん!
びっくり。

曜日とか、関係ない生活しすぎてて、
なんだか、おかしい。

喉から手が出たオーディション

最近、オーディションから離れていた生活を送ってたけど、
ダイスキなミュージカルのキャスティングオーディションが、
開催されることになった
らしぃ。
昨夜、たまたま知ったんだけど、
なんだか昨日からソワソワしちゃってて・・・・


とりあえず、即検索。(一般で受けられるか分からないしね)
そして発見!!
うわっ、書類出せる♪
フルキャスト募集してるぅ~ぬほぉ!!
忙しいし、そんな場合じゃないし。

でも・・・・


印刷しちゃった。プロフィールとか、書類全般。
気持ちを押さえられなかった。
MDまで準備しかけていたり。

受けるだけだもん。
いいよね。
受けるだけ、受けるだけ!

だって、これまで受けてきた中で、
一番参加したかったオーディションなんだもん。
受けないで、見届けるなんて・・・


できないよ。

「わたしがバッハに使った時間」

ピアノ。
毎週レッスンに行っていた時期だけでも、20年以上続けたもの。
yayaがまともに取り組んだもののひとつ。
そして、今でも実家に帰れば何時間でもピアノを弾いていられるほど、
好きなことのひとつだ。

バッハが嫌いだった。
どんなに好きな曲を弾けるようになっても、必ず2曲は課題にあったバッハ。
なんでこんな作品が良いのだろうと本気で思っていたし、
派手なラフマニノフやプロコフィエフ、チャイコフスキーのコンチェルト好きには、
つまらなくて、感情の入らない曲ばかりだった。

好きになった曲といえば、
平均律クラヴィール曲集 第1巻 第1番くらいだ。
しかし、私はバッハの曲をかなり弾いた気がする。
「アンナマグダレーナのために」からはじまって、
フーガ、プレリュード、平均律、トッカータ、インベンション、シンフォニア、カノンなど、
何冊の楽譜をこなしただろう。
私は、どれほどのバッハ楽曲を弾いてきただろう。

ふと気になったので、計算してみた。
確実に思い出せた曲だけでも、113曲。
単純に、レッスンに通っていた時期だけでも、
時間にして、252000分。
4200時間。
24時間引き続けて、175日をバッハに費やしてきたことになる。
8時間労働の仕事であれば、525日。
こんなにも時間を使ってきたんだ・・・。
考えたこともなかったけれど、
ピアノにかけた時間は恐ろしいほどの量になる。

知らないうちに時間をかけていることが、
人は案外あるものだなと思った。
そして、それはいつか自分の武器になることが
ある場合も、あるのかもしれないな。
一つのことに、ちゃんと時間をかけていくこと。
今の自分に大事なものかもしれない。

それから、今日チェンバロ演奏でバッハを聞いた。
なるほどと思った。
バッハはピアノではなくチェンバロで聞くから心地良い。
今まで、バッハに色彩を感じなかったのは、
子供だったことももちろんあるけれど、
ピアノだったからかもしれない。

次に実家へ帰ったら、バッハの楽譜を出してみよう。
そしてもう一度ちゃんと弾いてみようという気になった。

頭と言葉が喧嘩してる

私は、本当に思った気持ちを外に出すことが苦手。

ひとつの理由は言葉に出すことが、頭の速さに追いつかないから。
どんどん言語にならなくなって、しまいには考えたことすら
分からなくなってしまうから。

もうひとつの理由は、「怖い」からだ。
コレを言ったら、相手がこう思うから、ああなって・・・と先に考えてしまうことで、
それは言葉になる前に消去される。この動きはほぼ無意識に行われる。

これが、もっと大きな問題をつくってきてしまった。
今までこうやってきたから、直し方がよく分からない。
よく考えてみれば、怖いことは、相手を傷つけるからではなくて、
それによって自分が傷つくことを恐れているためだと思った。
だから、とらなくてはいけないコミュニケーションをちゃんとしないで、
話を相手の欲しい用件に合わせて答えている。
だけど、相手がそれに気が付くと、もっと傷ついてしまう。
それなのに、私はその事に気が付かないでいる。

方向を間違えたまま、どんどん突っ走ってしまってて、
もう後がないよ・・・というところまできて、
ようやく自分の弱さに情けなくなる。
そして、落ちて、落ちて、落ちて、落ちまくって、
大切なものに気が付く。
もう遅いかもしれないという時に限ってだ。
あと一日、あと数時間早くに分かれば、防ぐことができたかもしれないのに。
楽しくしたいのに、楽しくできない。
普通にしたいのに、イイ子になってしまう。
こんな自分に気付いたのに、どうしていいか分からない。
食べた夕食が、胃の中で行き所なく動いている感じだ。

お願いだから、「怖い」という思い、私の中から抜けて!
本当の自分と今、会話をしたいの。
そうしないと、大事なことを失っていってしまうから。
もう、おとなしくしてて!

そして、ちゃんと伝えたいと思うときに限って、
頭が言葉を邪魔して、ちゃんと釣り合わない。
出したいものが、ちゃんと出てこない。
ゆっくり、ゆっくり、整理して!って自分と会話する。
そうすると、頭と言葉が喧嘩して、涙がボロボロ出てくる。
そんなの、したいんじゃないのに。
ただでさえ、嫌なのに、涙が出るともっと悲しくなってきちゃう。
ちゃんと、言葉にして。
嘘つかないで。

今、ようやく分かったのに。
ヒトをちゃんと大事に思える気持ち、わかったのに。


でも、もう分かってはもらえないかもしれない。
一度、自分を分からなくさせてしまったら、
どうやって、それを取り戻していったらいいのだろう・・・
自分の思いとすら、会話できてない。
麻痺しちゃってる。
脳みそが、煮えたぎってる。

こうしたい

自分が一番したいことって何か、考えた。
・結婚?
・出産?
・仕事?
年齢的にも、少しずつ考えはじめるこの単語。

私は子供の頃、絶対独身で生きていきたいと思ってきた。
でも、周りが結婚をしたり、話を聞いて、
いつの間にかしなくちゃいけないものと考えるようになってた。

そもそも、人はどうして結婚したいって思うのかな。
そして、どうして結婚したくないとも思うのかな。
自分も含めて、じっくり考えてみた。
あれって、すごくビミョウな契約だなと思った。
安心したいという気持ちは、誰にだってあると思う。
不安定な状態ほど集中できないことはないから。
けれど、それは結婚という形でもって、そう思いこませるためなのかもしれない。
社会がつくったルールが長い長い年月をかけて、
一般的な当たり前になってしまった。
だから、よく考えずに結婚という言葉を出す。

私は、なんかシックリこなくなった。
よく考えもせずに、シックリくるということを信じただけだ。
だから、中身がカラッポだった。
だから、なぜ結婚したいのか、したくないのか分からない。

一番大事にしたいと私が思うことは、
契約よりも、建前よりも、その人物を信頼すること。
そして、信頼してもらうこと。
これは、勇気がいることだと思う。
契約がない分、何の約束もない分、不安にもなる。
きっと親はビックリするだろうし、
この考え方をしない人もいるだろうから。
でも、その契約のために、大事な親友と話せないことの方が、
よっぽど苦しい。
契約以上の信頼関係の方が、ずっと強ければ、
どうだって良くなる。
そして、これはお互いの信頼が気持ちよく
つり合った時に、ちゃんとバランスが取れる。
どちらかが重くなったりすると、成り立たない。
そのバランスをうまく保つことが、また信じることなのかもしれない。

私はつくづく女だなと思った。
どうして、そんなに親友と一緒にいたくなるのか。
それは、興味があって、希望があって、楽しそうで、夢があるから。
でも、もう一つ気がついたことは、
その人が一人前になっていく姿を、見届けたいということ。
どんな辛い時も、ちゃんと逃げないでいることが好きなんだ。
このちょっと辛い感じが、幸福な気持ちを少し含んでいるんだ。
まるで母親だと思う。
男性にはない考えなのかもしれない。

だけど、それが私のしたいこと。
夢を追う人を見て、応援して、触発しあって、自分のエネルギーにする。
そして自分自身がパワフルに楽しく生きること。
信じ続けることができて、信じ続けてもらえることで、
他にやりたいことに一生をかけることができること。
自分が成功していくプロセスを見届けてほしいこと。
自分がやりたい!と思ったことを心おきなくできること。
それをすることを、認めてもらえること。
意見を言い続けてほしいこと。
そして、もっともっとキラキラと輝けること。
これができたら、最高にシアワセだ。

耳が聞こえない時

今まで、話が聞こえないことなんて無かったのに、
ここ1ヶ月間くらい、おかしな状態になった。
まるで耳が遠く、言葉が分からない。
話をちゃんと聞いているはずなのに、
ちゃんと聞こえなくて、何度も聞き返すことが続いた。
少し、おかしいなと思ったけれど、
話が分からない。
聞こえない。

原因は、「聞いていない」だった。
話をちゃんと聞いているようで、聞いていない。
ちゃんとしたコミュニケーションがとれていたヒトと、
急にとれなくなると、話を聞き返すことが増える。
それはなんでだろう?と思って考えてみたんだけど、
会話の流れがプチプチ途切れているから、先読みができない。
特に、コミュニケーションが異様に早いもの同士の場合、
普段は言葉の数を減らしても通じるだけに、
さっぱり分からなくなる。
先読みしても、自分がネガティブだったり、捉え方を誤ってしまって、
結果、話の筋がしっかり見えてこないので、頭の中で考えるものと、
実際に話手の出しているものが、ちゃんと一本の道を作らない。

昨日、どんなことがあってもちゃんと聞く。
まるで自分は録音するようにちゃんと聞くと決めて、
話をしてみることに専念した。
結果、聞き返すことはなかった。
ちゃんと話が分かるし、聞こえる。

ヒトと話をする時は、ちゃんと聞かなくちゃ、
いつまで、どんなに会話を重ねても、
一向に話したことにはならないなと実感した。

「ヒトの話を聞くこと」
これは当たり前のことだとほぼ皆が思うことだけど、
ちゃんとするのは難しい。
そして、ちゃんとできていないということは、
その人と会話をした時間そのものが、
全く無意味になってしまう。無駄を生んでしまう。

あぁ、話はちゃんと聞こう・・・と思った。
そして、聞き返すことが多いとき、分からないときは、
聞いてないか、聞こえないようにしているときだと、
思うことにしていこう。
これを自分の指標にしていけば、
もっとヒトとの関わりをうまくしていけるだろう。
一番自分が気をつけなければいけないこと。
それは、聞こえない自分を無視しないことだ。
そう思った。

合理的判断とそうでない部分

「合理的判断を選択する方が、およそ8割くらいの可能性で成功する」
と珍Mは言った。
なるほど・・・そうかもしれない。
殆どのことに関して、そうだと思う。
時間の無駄を省くことにもそれは優先すべきだろうし。
だから私はわりと、合理的な考え方が嫌いじゃない。
仕事、私生活、将来プラン、人付き合いについて大抵はそうだ。
そうやって、サバっとした気分になれてきたし、
その方が、前に進むためには楽だから。

でも、「どうだろう?」と思うことがある。
合理的判断をする時、そうでないモヤっとした部分にはまず目を向けない。
モヤッとしていると、それを選ぶのはなんだか嫌なものだし・・・
だから、その選択をしないから、実際の答えは判らない。
でも、その選択をしてしまうことも、また怖い。失敗する可能性が高いからね。
じゃぁ、私はどっちを選ぶ?

私は、こなす仕事に対しては、合理的を第一に考えて動くだろう。
私生活も、仕事に向ける部分に関しては、そうしようと思う。
けれど、一生かけてゆっくりでも納得させたい対象に関しては、
合理的でなくても構わないから、ちゃんと伝えていこうと思った。
それを信じていかないと、自分が気持ち悪いし、
いつか、合理的判断をしなかったことが、その後の生活や、
ちょっと疲れた自分や相手を救う時があると信じたいから。
それに、そうしなかった事で良かったなと思う部分が少なからず、
yayaデータの中には存在しているから。
今が調子悪くて、合理的な判断を推し進めていきたいと思っても、
もう一度大切なものか、一生大事に考えるものかと悩んだら、
その答えしかなかった。
自分は人だし、人には感情もある。
だから、面白いし、悲しいし、楽しいことも感じることができる。
ちょっとした生き方のミスを受け入れるから、新しいものも作りだせる。
1つくらい、そういうものがあってもいいなと思った。

もし、この判断に相手の意志も必要とするものならば、
その時、その人が合理的判断をしても構わない。
でも、自分はそうでない部分を、一生かけて、その人に伝えていこう。
たとえ、その人が今現在、理解できなくても。
それはそれで、仕方ない。
でも、いつかその人の人生の中で、
「あぁ、、、合理的判断だけが選択として正しいわけではなかった」
「こんなこともあるもんだ」
と心の底から感じる、幸福な気持ちをつくっていけたらと思っている。
それに一生をかけてまで、それを伝えることは楽しいだろうし、
こんなにまで必死になって、ぶつかりたいと思える人に出会うことは、
そうそうないだろう。

これからも、私は殆どの場合合理的判断を優先していく。
けれど、そうしてしまっては大切なものを失うと思った時には、
そうでない部分を一生かけて、ちゃんと伝えていく。
そう簡単に答えを出すほど、大切なものは軽くないから。
それに、何よりその方が幸せで楽しいもの!

一生かけて伝えていくことがあるなんて、
自分に生きる気力が湧いてくる。

2度も死んできたの・・・

昨日は、頭が混乱しすぎてどうにも熱い。
一つの文書を読めば、それについてずっと考えこんでしまうし、
その間、人の声は微塵も聞こえない状態に陥る。
これじゃマズイ。と思って
湯船に水をはって、もぐることにした。(私は水が怖いけれど)
なんでそうしたのか?突然の思いつきとしか言えないけれど、
どこでもいいから、現実っぽくない風景に呑み込まれたかった。
苦しいし、怖いし、傍から見たらどうにかしてるだろうけど、
気分がよくなった。
体中の力がズルリと抜け落ちて、
このまま気が遠くなっていきそう・・・といった心地だった。

気分も良くなって、番組で使う曲を視聴しながら、
クラシックに浸り、眠りについていった。
眠って、1時間後に目が覚めたが、その間夢を見た。

「自分が死ぬ夢」
なんともフラフラと仕事終わりに、会社をうろついていたら、
バタリと倒れて、目が覚めるとどこかに眠ってる。
汗をかいてひとりモガイテル自分がいて、
目をパチリと開くと、そこに人が立ってた。
心配をしている表情に最初は見えたけれど、
その人は見れば見るほど、どことなく面倒くさそうに、
情けない目つきで私を見てる。
そして、その数秒後、自分はもう一度眠る。
今度は目覚めることがなくて、スゥ~っと力が抜けて、
死んでいく夢だった。

まだ時間があったので、もう一度眠ることにした。
目覚めると、今度は朝だったけど、
この間、また夢を見た。

「自分が死ぬ夢」
まただ・・・
今度は真っ白な白鳥の羽根をつなぎ合わせた衣裳を着て、
どこか、とても高いビルの屋上に立っている。
冬の夕方で、夕日がキラキラと自分の目に映りこむ。
バタバタと背中につけた羽をニ三度動かして、
一気に屋上からジャンプする。
スゥーーという音と共に、すごい勢いで空を飛ぶ。
それは気持ちよくて、心地よくて、
「こんなの初めて!」と叫んで飛んでいる。
しかし、その数秒後、首に引っかかっていたワイヤーが
首を締め付けて、ジャキンッという音で首が飛んで死んだ。

一日に2回も自分が死ぬ夢を見るなんて、不思議・・・

ストーリーは怖いけれど、話に聞くと「自分が死ぬ夢」は良いらしい。

久々に新鮮な夢を見たなぁ。と思った。

一膳のお箸はぴったんこ

一膳のお箸。
一本一本丁寧に創られた、素敵で、不思議なお箸。
これで食べるとどんな料理だって、美味しくなっちゃう。
なんとも魅力的で、心から惹かれてしまったお箸。
それなのに、よく見ると、長さがちょっぴり違うもの。
さぁ、どうしようか?
もう一つのお互いのお箸を探しに旅へでかける?
どこに売ってるかは分からないけど、どこかにあるかもしれない。
よく見れば、長さが一緒でも色や模様がちょっと違うかもしれない。
それとも、このお箸、ちょっと手を加えればみごとなお箸になる。
お箸に合わせて、長さを揃えれば、ぴったんこ。
でも、手を加えることには拒んでしまう。
削りすぎても、折れてしまってもダメだから。

でも
それじゃやっぱりダメなのかな。
元々ぴったんこがないと、ダメなのかな。
ちょっとチグハグだから、世界が広いくて面白いと思うけど・・・
やっぱり、それは格が損なわれてしまう?
完璧な条件でないと、使ってもらえない。


このお箸、使って初めてその不思議に気がつくのに、
いつまでたっても、箱から出さず、
どうしよう、こうしようってオロオロしてる。
それが嫌だから、とりあえず他を探すことを選びたくなる。
お箸は、ゴハンを食べる時にならないと役に立たないんだよ。
使って、使って、愛着がわいて、
それがぴったんこになってくる。
ちょっと小旅行をして、よく考えたらいいよ。
だって、どっちがいいかなんて分からないもの。

でもね。
ちょっとお箸を削るくらい、なんでもないわ。
だって、ぴったんこになるもの。
それを望まない理由がないわ。

それになんだか、
味があるじゃない?


なんだか・・・うまくいかないな。

一膳のお箸は・・・

一膳のちょっと長さの違うお箸同士は、旅に出ることにした。
もうひとつの“ぴったんこ”を求めて・・・
旅は、先が見えないから怖い。
でも、旅に出ないと、出会えない、
旅に出ないと、長さを変えることが良かったのか、
もうひとつを求めた方がよかったのか、分からない。

あぁ~、きょうは天気が良い。
だから、こんな日は、ちゃんと仕度して、
忘れ物がないかチェックして、
自分を信じて、旅へ出よう。

空気は澄んで、冷たくて、
それでいて太陽はとても柔らかい。
どんなに心が痛くても、変わらずに照らしてくれる。
道は自分で引かないと、暗い夜道のまま何も見えない。
太陽や空は、何の見返りも求めずに、
ただただ、その手助けをしてくれる。

深呼吸して、目を開いて、
その先をちゃんと見ていこう。

そうすれば、一膳の箸の旅は無駄にはならず、
旅先で見つけた、もう1つのぴったんこか、
はじめにいたもう1つのぴったんこかの、
どちらかと、お箸になれるから。
何が大切って、旅をすることだよ。
一度、ちゃんとリセットして、気持ちを相手に向けないで、
自分と自分の未来へ向ける。
方向を間違えちゃだめ。
大丈夫、大丈夫。
いつか、気持ちの良い答えが見えるから。

「さようなら、さようなら
こんなに良いお天気の日に
お別れするのかと思うと本当に辛い

さようなら、さようなら
お世話になりました
お世話になりましたねぇ」

この言葉を、大切に読めるようになった。

天気が良い日で、よかったです。

マブイを落としてきたっぽい

だめだぁ~
タラタラタラ~と、気が抜けていった。
まるで、中濃ソースの口が開いてて、
それが傾いて、垂れ続けちゃってるような。

本日は朝早うから仕事をしてみた。
会社でやること仕上げて、お昼にはランチへ!
久々に本郷へ行って、大学の先生とフレンチ。
そこでたっぷり話をして、話を聞いて、
というか、面談をしていただいたような気分です。


そして
既にエネルギー切れ・・・・

発散しすぎた?
いや、叫んではいないけど。
出したんだな。エネルギー。
で、出きってしまった、なぜか。


こういう時は、楽しいことを考えよう!
仕事をバリバリしてみよう!!
人とたくさん話しをしてエネルギーを吸い取ろう!
としたけれど、
全身脱力。
なぜだ!?

アロマのお風呂に入って、好きな音楽聴いて、
ファントム・オブ・パラダイスを観て、
<http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=19735>
寝るが一番だ。
最近してないなぁ~こういうリラックス。

久々にしてみるっかなぁ~
何か見えてくるかもしれないもんなぁ。

とりあえず、やったら楽しそうなこと上げてみよう。

温泉
歌をうたいに行く
溶岩浴やマッサージ
新しいカワイイ靴を探す
海でも走り回る
でも、何よりバレエ踊りに行きたいなぁ~
鎌倉にいた時は、これをちゃんとやってたから、
有り余るエネルギーを放出できてたのかな。

なんというか、ホォゥ~っとしてる。
今日は、マブイ落としたくさい。
どこだーどこだー
やはり、本郷においてきたか!?
yayaのマブイ、何処へ・・・・

※マブイ=魂

ブログに学んだ事とかあって・・いま。

最近、ブログに書く内容や、形式をだいぶ変えた。
一時期までは、登場人物を入れて、面白くしようって、
自分をネタに物事をストーリーを書いてきたけど。

きっかけは、「痛々しい・・・」と言われたの。
それから、自分にとってブログって何をする場にしたらいいのかな・・・
と考えて、変えることにした。
ブログの先にいる人たちと、会話をするように書こうって思った。

それにはまず、真剣に伝えたいことを書くことにしよう。
感じたこと、思ったこと、考えていることを、一文字ずつウソついてないか、
ちゃんと確認をして、書くようにしようと心がけた。

そうしたら、ちょっと面白いことになってる。
コメントの数が増えていって、
久々の友人から電話がかかってくるようになった。
コメントでは書きにくい時は、メールを送ってくれるようになった。

ブログって、一方方向じゃないんだな。
ちゃんと返ってくるものなんだな。
会話をするようになってきたんだよね。

気が付いたら、コミュニケーションツールになってたな。
色んな友人が周りにはいて、結構気にして見ていてくれてたんだなって。
ちゃんと伝えたい!って想いは真剣に書いて投げると、
受け止めてくれる人がいるんだな。
今、私はブログを書くことによって、救われてる。
読んでくれている人たちに、助けられてる。
支えられているんだな。

これって、モノを作る時もそうなのかも。
ちゃんと伝えたいことを、伝えたいひとに、
真剣に語りかけないと、響かないよね。
伝わらないよね。

それと・・・
わたしは、
この世にいて『感じる』ことって、毎日あって、何も感じない日ってない。
どんなに家にこもっていても、感情が起こらない日はない。
目が覚めてから眠るまでの間、一分一秒の間隔も空けずに、
自分に敏感になればなるほど、『感じる』ことはできて、増えていく。
『感じた」素材は、自分の中の工場で色が付いて、形が変わって、
さぁ伝えようという時に、自分フィルターを通して出てくる。
形になったり、動きになったりして外に出ていくの。
だから、私には『感じる』ってことがある限り、
表現するものがあり続けて、消えることはないんだ。
生きている限りずっと、やっていけること。
近すぎて見えなかったみたい。

KaradaとKokoro

ドラマ、プリマダムにちょい役で出演した時のVTRを見つけた。
ちょっと前だけど、ずいぶん昔の事に感じたな。
この頃は、痩せなくちゃ、キレイにならなくちゃ、受からなきゃって思いと、
それがうまくいかない上に、演技に対して面白みが分からなくなった時期だったから、
それなりに結構悩んでいて、体は痩せなくて、うまくいかなかった。
あれから半年ちょっとだけど、環境は大きく変わって・・・・
その頃抱いていた、痩せなくちゃ、受からなくちゃって悩みは消えたけど、
今も、何かしらに悩んでる。
悩みって、なくなることはないから、無くすことは諦めて、
それとうまくつきあう方法を考えた方がいいかも・・・・


最近、自分分析。
あぁ・・・体と心はつながっているんだなと日々実感。
私の場合、相当体力がある方だから、
ちょっとやそっとじゃ、倒れることが無い。
自分の場合、
体→心への影響より、心→体への影響の方がが大きい。
体はどんなに疲れていても、テンションが高くて楽しいときは、
その体を麻痺させることができちゃうけれど、
心が疲れている時は、どんなに体が大丈夫な気がしても、
ぶっ倒れそうになるし、体中が重たくて、痛くなる。
最近の自分は、どちらも弱っているから、
毎日義務のように食事と睡眠をとっているけれど・・・・

「これはそういうもんだから」と今の自分の症状を受け入れてから、
こういう状態を、第三者のyayaで観察してみることにした。
これも、演技をする時や、何かを生み出す時に、役立つかもしれないし、
そういう思考になれるだけで、ちょっと自分が楽しくなるじゃない?
こんな自分観察をしながら、日々過ごしているんだ。
そうすると、自分の一番ダメ値が分かって、自分の一番イイ値が分かる。
このダメ値に付き合える様に、心臓には毛を生やして、
イイ値を増やすために、出会わなかった世界に顔を出してみる。
そうすると、その幅は広がっていって、打たれ強くなる。
さらに、自分の状態が良く分かる。

夜は、「歌舞伎町の女」をしている写真家に興味を持った。
波乱万丈な学生~会社員を過ごして、現在は歌舞伎町で働く表現者の友人。
彼女にすごく会いたくて、彼女と話をしたくて、一気にラブレターを書いた。
久しぶりに彼女に会うことになったら、心臓がキュンと苦しくなって、
ヒトコト目にどんな挨拶をしようか、今考えている。
自分の枠に収まらないと思ったり、知らなかった世界の人に、
今はたくさん会って、話して、聞いて、枠を広げる。
彼女は一体、どんな写真を撮るのだろう?
歌舞伎町で男性を相手に、どんな女を見せているんだろう。
そして、時間が経ってから再会する今、
私にどんな女性としてふるまってくれるんだろう。
久しぶりに再会する人に、ドキドキするのは嬉しいものだな。

枠を広げていくことで、心が動いて、体が動く。
壁を壊して、殻を崩して、入ってくるものに、
今は、生身でぶつかっていきたいの。

姫で王子になりたい

あぁ・・・姫になりたいわ!

昨日ダイスキな人と話をしてて、そんな妄想がどんどん広がった。
妄想だけど、わりとハッキリした妄想。
姫にはね、
自分をすごく大切にしてくれて、話をちゃんと聞いてくれて、
やりたいワガママ好きにさせてくれて、心配もしないで済む王子がいるの。
強くて、信頼できて、信頼してもらえる王子がね。
「この姫は、こういう人だからね、でもこの女性は面白い!」って認めてくれるの。
それでもね、ただの姫じゃなくって、強い姫になりたい。
底なし沼に落っこちて、ズブズブズブと沈む王子を見て、
泣きながら、慌てる弱い姫っ子じゃなくて、
「ちょっと待っとれ!ほい!!」って首に縄をくくりつけて、
沼から引きずり出して、馬に乗せて連れ帰ってあげられる姫。
死にそうな王子に、最低限の死なないフォローをしてあげる、
そんな姫になりたい。


部屋にはグランドピアノを置いて、ソファーがズシ~ンと沈む大きなもので、
窓が大きな部屋で、外から涼しい風がファ~って入ってくるの。
ギッシリ詰まった本棚から、今日は何を読もうかなって思いながら、
気が付いたら本棚の整理をし始めて、止まらない。
美味しいスープとバケットとチーズが、大きなテーブルに置いてあって、
本を読んだり、こうやってパソコンやペンをとって文章を書くの。
毎日同じように時間を作って、ちょこっとずつ作品を仕上げていくの。

私が死ぬまでにしたいたったひとつの夢。
それは、
自分のスタンウェイのグランドピアノで、
チャイコフスキーの『ピアノコンチェルト第一番 ニ短調』を弾くことなの。
なんの根拠もなくて、なんでか理由なんて言いたくない、
周りに、とやかく言われる筋合いもない。
中学くらいから、ずーっと、いつかやりたいなって思っているんだ。
だから、リビングには大きなスタンウェイのピアノが必要なの。
ちゃんとカギをかけて、大切に磨いて、ピアノと仲良しになるの。
ピアノは人を見るから、まずはちゃ~んと仲良くなるの。
いつ始めるかも、なんにも決めてないけど、
始めたくなったらやるんだ。
別におばあちゃんになってからでも、やりたい時に始める。
何年も、ずーっと変わらない、仕事と全く関係ない
自分だけの夢。
やらなきゃいけない!って思いがよぎったら、
その時点で、夢のオイシサ半減だしね。
理由なんてつけちゃったら、つまらないからしない。
だって、そうしたいんだもん。
仕方ないじゃんか。
っといった感じ。

まぁ、夢を語るのに。
大それた、ボヤボヤしたものを考えても仕方ない。
実力が伴っていないものを、今でっかくしようとしてジタバタしてもしょうがない。
分かったフリして、でっかく飛ぼうとしてみても、怪我をするだけ。
できない自分を認めないうちに、できるようになろうとしても、
それはただの悪あがき。
いきなり、でっかくなんてなれないもん。
急いだって、つまんなくなっちゃうもの。
まずは、ちっさい自分に「ちっちゃいね」。って言ってあげて、
「さぁて、どうしよっか?」って相談してみる。
そして「じゃぁ、楽しくできる方法を考えよっか」って始めていく。

「できることしか、できない」
昨日、こんなことを言われて、確かに。って思った。
自分の生きてきた過去を信じてあげて、
できることしよう。

コンペイトウ~ちゃんと拾って踏んづけないように~

コンペイトウは、ちっちゃいなぁ。
それでも、ひとつひとつが、ちゃーんと甘くて、形がみんな違う。
時間って、コンペイトウをスプーンでかき集めたみたい。
たくさんあると、カラフルで、とっても甘い。いろんな毎日がある。

今、
こぼしちゃったコンペイトウをいっこいっこお皿に入れているの。
たくさんあったものを、一気にこぼしちゃったから、
なんだかびっくりしちゃって、ちょっと動けなくなっちゃったけど、
そのままじゃ、踏んづけちゃうから、
元どうりに、あったところに片付けていくことにしたの。

空が透き通っていて風は冷たいけれど、ひだまりが暖かかった日。
路地にある桜の樹の葉っぱは、穴だらけになりながら、しがみついてて、
その隙間から見える青空と、冬の匂いで気分がキュンとなった。
これからはじまるお家への道のりは、落ち着かなかった。
スズメみたいに、ちょこちょこ歩いて、知らない道を楽しんだ。
幼稚園の脇の細い道と階段は、なんだか古くさい良さがあった。
お家の横には、大きな樹があって、風が吹くと魔力があった。

黄色くってちっこいメジャーを買って、お家のサイズをはかって、
得意気になって、画用紙にサイズを書いた。
材木屋さんへ行って、木を調達して、金具屋さんへ行ってネジを買って、
ひとつずつ材料をそろえて、ひとつずつ組み立てた。
ちょっと疲れた時は、セレブカフェでコーヒーを飲んで、ピクルスを食べた。
海沿いをドライブしながら、大きな声で歌をうたった。
足りない部分は、ちょっとずつ作り足して、
カーテンを付けて、ベッドを探して、本を本棚に並べて、
毎日、少しずつ、色んなものを揃えるの。
何度も何度も荷物を運んで、ちょっとずつ集めたの。
色んなものを、つくっていくの。
そして、写真を撮って、撮って、撮って・・・
こうやって、一粒一粒、コンペイトウが集まっていった。


ちょっとびっくりした隙に、お皿を落としちゃったんだ。
お皿が割れちゃったから、新しいお皿に入れることにしたの。

大きな樹は、一日ずつ短く切られていって、
空気が流れなくなちゃって。
このままじゃ「生きられそうもない」と思った。

だからね、今、いっこ、いっこ、
拾って、新しいお皿の中に入れていくの。
踏んづけちゃわないように、足元を見て、
死んじゃわないように、深呼吸をして。

絡まった糸をひとつずつほどいて。
今度はこんがらがってしまわないように、
ちゃんと整頓。
ほどいて、ほどいて。

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